バウハウスという未完の思想
1919年、ドイツはヴァイマルに設立された建築を含む総合芸術教育の学校が、かの有名な「Bauhaus(バウハウス)」。
学校自体はわずか14年でその使命を終えますが、その影響と理念は現在のデザイン界においても普遍的な価値をもって語られ、実践されています。
私自身は大学で建築デザインを学び始めるまではその存在を知りませんでした。ただイメージとして無駄を排した〝シンプルなデザイン=ドイツデザイン〟という単純な認識はありました。
他の大学には通ってないので判りませんが、日本の建築を教える学校でバウハウスの名前は絶対ではないでしょうか。私が通った大学でも教科の基本にバウハウスの理念がコッテリと息づいていて、新入生たちをバウハウス被れにするには十分な環境でした。日本の大学の医学と建築はドイツ被れと言っても差し支えないかと思います。
腕時計に受け継がれたバウハウス的合理主義
さて、このバウハウス。世界中で廃れては再評価というのを繰り返して、近年何度もブームが到来しています。腕時計の世界においても同様で、私の調べでは1990年から2000年初頭までの比較的華美なデザインがもてはやされた時代を除けば、何らかのバウハウス的なデザインの時計は途切れること無く作られた来ました。
時計におけるバウハウスデザインは、やはりドイツ特有のギルド社会を切り離して語ることはできないと思います。ギルドは職人集団がある目的のために自分たちの技術を持ち寄ることで、合理的に、かつ高性能な製品を作るための寄り合いです。
バウハウスはこのドイツの職人気質を体系化して無駄を省き、より広く共有できるようにした教義です。言われてみれば、無駄を省いたシンプルな外見に、極限までの加工を行うというごまかしの効かない技術の勝負は、いかにもドイツ人が好きそうなストイックな方向性です。職人気質とバウハウスの合理主義、大量生産主義は一見、水と油に見えますが、私は結局はどちらも真面目なドイツ人の精神性から生まれるべくして生まれたと感じます。
模倣を許容する芸術、バウハウス
数値化、規格化、視覚化といった、小手先の表現主義とは異なる価値観を提唱したことで、教義化されたバウハウスの理念は世界中に広がり受け入れられましたが、シンプル故にごまかしが一切効かない厳格な価値基準は、先達の模倣の域を脱することすら難しくさせる…デザイナーにとっては茨の道ともいえる芸術です。
何だか難しいことを語ってしまいましたが、私が思うにバウハウスは道半ばだと思うのです。まだまだ完成には程遠い見果てぬ現代芸術。ですから過去であろうと未来であろうと、どんどん模倣して進化させていけば良いと思います。
私物に見るバウハウスデザインの現在地
私が所有している時計で言えば、一つはユンハンスの「マックス・ビル」(写真右)。言わずとしれたバウハウス最後の巨匠の作品です。裏蓋にはマックス・ビルのシグニチャーがエングレービングされており、建築出身者としては持ってるだけで背筋が伸びる一品です。

図面を引いたことのある人なら、マックス・ビルのデザインが「図面そのまま」の雰囲気であることがわかるでしょう。完璧なアワーマーカーの配置、書体の絶妙な選択、それらが可能にした抜群の視認性。100年でも200年でも、このデザインの持つ価値が変化することはないでしょう。時計自体がアンティークと呼ばれる年季に入っても、デザインがアンティークと呼ばれることは無いはずです。
時代を超越、あるいは問はないデザインがバウハウスの真髄でしょう。
もう一つは、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトをオマージュしたハミルトンの「Lloyd(ロイド)」(写真左)。ロイドライトの作品集はミース・ファン・デル・ローエなどバウハウスの中心人物たちに多くの影響を与えたと言われています。この時計は「一つのカタチを見つけたらとことん押し通す」というロイド・ライトの特徴(偏屈さともいう)をよく解釈しています。

こちらはドイツのブランド「DUFA」の一本。「ファン・デル・ローエ」という名のバウハウスオマージュです。バウハウスとバウハウスに関連する建築家の名前は、インダストリアル、インテリア、アーキテクトデザインの分野において見果てぬ理想であり、何度でも繰り返して振り返ることのできる「底なしのドル箱」でもあるのです。

こちらはBRAUNの「ディーター・ラムス・ディートリッヒ・ルブス」デザイン復刻の時計。この極限とも言えるデザイン。古めかしさを全く感じさせない不可侵の独創性。いつの時代でも、完全な再生産が可能なバウハウスの真髄ともいえるデザインです。
いかがでしたか?
価格的な価値以外にも思想的な価値を多く含んだバウハウス絡みの製品群。生活にピリッと緊張感を与えてくれること間違いなしです。



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