テーマが良かったので、2025年6月に改訂しました
確かに「アンタ変わってるね~」と言われますよ。何がってワタクシ、人の「自慢話」を聴くのが好きなもので。
学歴自慢に家柄自慢、お金持ち自慢にモテ自慢。微笑ましいところでは、子供自慢、ペット自慢ってのもあります。たわいもない話ですよね。ところが実際、これらを嫌う人って結構いますよねぇ… (;´∀`)
高級腕時計趣味は「見えない敵」を作りやすい

高級外車自慢も高級住宅地居住自慢も、私にしてみれば「その人が頑張った成果」であり、拍手こそすれ、何らの嫉妬もウザさも感じたことはありません。それらには「実用品」としての側面もありますし、多くて2、3の所有でしょうから「散在している」と見なされにくいのもウザさが薄い理由かもしれません。
ところが腕時計の場合は少し事情が異なります。所有本数が5本以上にもなると、それは「実用品としての説得力」から逸脱した「無駄遣いの域」に突入するからです。無駄に贅を尽くした「超高級腕時計」の所有も同様に「無駄遣いの象徴」。故にスゴい時計を幾つも持っている方ほど「見えない敵が多くなる」のです。数百、数千万円を腕時計に使う愚か者は叩いてヨシ!! みたいな風潮があるわけですよ。
高級腕時計趣味の特色かもしれませんが、別段「スゴい時計だろう!!」なんて自慢しなくても、着けているだけで、持っているだけで「無言の高収入アピール」と捉えられ、世間から叩かれる原因になってしまうのです。内状が「ローン地獄で火の車」だったとしても、ロレックスのデイトナや雲上のラグスポを持っているというだけで「なんかムカつくヤツ!!」と言われてしまう。お若い方の高級腕時計所有がどれだけの嫉妬に晒されていることか… 実際、理不尽な話です (;´Д`)
自慢話を聴くだけで相手との距離が「縮地」並に縮まる
私自身はどんなジャンルの「自慢話」も楽しく聴かせてもらっています。全く嫌だと思ったことがないのです。だから「自慢しぃ」(大阪弁で自慢ばかりする)の人とは極めて早い段階で、すんなりと打ち解けたりします (*´ω`*)
人の自慢を聴くだけで、相手が気分良くなって「食いねぇ食いねぇ、鮨食いねぇ」状態になるんですよ?? 特別褒めるわけじゃない。ただ「聴くだけ」で相手との距離が勝手に縮まるのです。「心理的縮地」を使った達人級交際術みたいなものです。
何故、他人の自慢話は「うざい」のか??
確かに「とにかく他人の自慢話が嫌い」という人もいます(っていうかほとんどそうかな?)
人間誰しも、興味のない話題に付いていくのは難儀するものです。他人の口から発せられる「自慢話」はその最たるものでしょう。ただし、「あー、また始まったわ」と不快感を態度に出すようでは「全てがそこで終わり」。何故なら、貴方が無意識のうちに話す「明るい近況」とやらにも、相手が置かれた状況次第で「今一番聴きたくない自慢話」が含まれている可能性があるからです。相手がニコニコ顔で聴いているからといって、赦されていると決めつけるのは浅慮です。
うざいく感じる思考の根源は「他者への尊重の欠如」です。そしてこれは、話し手にも聞き手にも等しく当てはまります。
例えば本来はチームの成果として語るべきところを「自己の成果」として声高に語れば、それは仲間への感謝と尊重が薄い「薄情な人間」だと告白しているようなものです。社会人の自慢話の大半はこれにあたるでしょうか。「オレがいるからこの会社は回っている!!」みたいな話は、例えそれが事実であっても他人の耳には「うざく」聞こえるでしょう。
アメリカの社会心理学者「レオン・フェスティンガー」氏の『社会的比較理論』によると「人は自分の意見や能力を評価するために、他人と比較せずにはいられない」生き物だそうです。
「自慢話」の多くは「社会的比較」を引き起こします。他人の成功や優越性を聞いて、自分との「相対的な差」に意識が向き、劣等感や不快感を感じてしまうのです。そういった負の感情を処理しきれなくなったとき、「ああ、マジでうぜぇ」と思ってしまうのでしょう。
自慢話は「協調性の欠如」と見なされることが多い「悪癖」とされますが、それは「共感する余地の狭さ」がそうさせるのです。アメリカの社会心理学者で利他行動の専門家「C・ダニエル・バットソン」氏は言いました。「他人に対して真の共感(empathic concern)を抱いたとき、人は見返りを求めずに利他的に行動する」と。
もちろん利他的行動の純粋性を疑問視する意見もあります。「良い人」という評価を得たい「自己利益追求のためのアクション」に過ぎないのではないか… ただ私個人は「純粋な利他性」の存在を信じていますし、真に「共感できる自慢話がある」ことも知っています (*´∀`*)
共感が薄い自慢話であっても、展開次第では「勉強」になる
「エリク・ホンブルガー・エリクソン」氏については、ご存じの方も少なくないでしょう。かのジークムント・フロイトの娘、アンナ・フロイトの弟子として「人間の発達」について研究を続けた、学史に残る心理学者です。彼は老年期の課題について「自己統合 vs 絶望」の構図であると記しています。
自分の人生を振り返って「良かった」と感じられるか?? それとも「ああすればよかった」と後悔するか??…
「高齢者の自慢話」は、数多の「成功と失敗」に彩られた人生を自分の中で「再統合」するための儀式でもあります。ですから「聞き手」に回ったとき、私がすべきことはただ一つ。「最後まで、遮らずに聴く」ことです。
ここで皆さんに質問です。
皆さんの人生は「何人分の人生」に相当しますか??
ほとんどの人が「そりゃオレ一人分の人生だろ!!」と仰るでしょう。イチローさんだって大谷さんだって、彼ら一人分の人生を生きているのです。一般人には想像も付かないレベルの体験をされたといっても、それが「一般人千人に相当する」と言えるわけではありません。
「充実した人生の教科書」として、偉人伝の類いを読まされた方もいらっしゃるでしょう。エジソンやヘレン・ケラーの伝記を読めば確かに感動はします。ただ、時代やら状況やらが何もかも違い過ぎて、簡単には「自分に落とし込めない」のです。
身近なお年寄りの「自慢話」が素晴らしいのはそこです。聞き手の自分の身にもこれから起きるかもしれないアレやコレやが、リアルな体験談として聴けちゃうのですよ。しかもタダで!!
何もかもを自分と比較して「ウザい」と反応すれば、その瞬間の自分のプライドは守れるかもしれません。ただ、目の前に転がっている「貴重な学びの機会」に関しては、ウザいと断じた時点でその全てを失ってしまいます。
他者の自慢話を「劣等感で遮断」するも、「学びのチャンス」と傾聴するも、それは聞き手の「器」次第です。
ワタクシ個人は「共感のあるなし」を単なる「努力不足」だと感じることが多々あります。「こりゃあ共感なんてしようがないなぁ」と思うしかない話題であっても、共感がないことを理由に会話を遮断した時点で、私は人間性的に「負けた」と感じるのです。そもそも他人同士が「共感をよすがに繋がる」こと自体、一種の奇跡です。大抵の場合は何らかの損得勘定があって相手に歩み寄り「共感を生み出す努力」をして初めて、他人同士の関係性は構築されます (*´∀`*)
「自慢話」が始まったら、盛大に「褒める」チャンスだと考える

私がいつも不思議に思う部分なのですが、人間、頑張った時は褒めて欲しいし、お洒落してきた人は「素敵ですね」と言われれば喜ぶわけですよ。しかし、おいそれと人を褒めることが難しいこのご時世。褒めるポイントがズレてたり、褒め方の言葉を間違ったりすれば相手は気分を害することもあります。「折角褒めたのに!」となって、頑張って褒めた自分もションボリです。
ですが、相手が「自慢話」をし始めたらそれは「大チャンス」です。それは「盛大に私を褒めてやってください!!」という相手からのシグナルにほかなりません。
こんなに簡単な交際術ってあります?? どんな理由からでも構いませんが、眼の前の相手と仲良くなりたいのであれば、存分に自慢を聴いて、存分に褒めて上げましょう (*´ω`*)
自慢話を「引き出す」プロフェッショナル
相変わらず、暇を見つけてはアチコチの腕時計販売店に「新作時計」を見に行きます。何となく顔を覚えられたお店、ガッツリ名前まで覚えられてしまったお店など、敷居の高さはさまざまですが、仲良くなれる、気の置けない関係になれる販売員さんは大体決まっています。
「自慢話を聴くのが上手」な方です。
中には「聴く」に留まらず、自慢話を「引き出す」テクニックを持った販売員さんも存在します。そのきっかけとなるのが、その日、お客さんが「身に着けている腕時計」です。
大阪なんばの「高島屋ウォッチメゾン」はその傾向が徹底されていました。「いらっしゃいませ!!」からの「今日は何の時計をされているんですか??」で完璧な掴み。
着けている時計を褒めることは即ち、お客さんのセンスを褒めることとです。これをされて「ムッ」とするお客さんなんていませんから、お客さんの左手首を中心にセールストークを紡いでいくのは、販売員さんにとっての「先手必勝策」。
ただ、そこから如何に発展させるかについては、販売員さんのスキルに依存します。「素敵です」「お似合いです」だけでは「ありがとう」と繋いで会話は終了してしまいます。
「そのモデルって日本限定の小径ですよね??」「その時代って代理店がなかったと思いますが、海外で購入されたのですか??」
こんな風に話を広げられたら、お客さんも気分が良くなって弁天小僧ばりに「知らざあ言って聞かせやしょう!!」と自慢話を語り始めるでしょう。
時計を見に来る客が着けている「腕時計」は間違いなく何らかの「自慢のカタマリ」です。価格や希少性、趣味性だったりかけがえのない思い出だったり、機会さえあれば吐露したいストーリーがぎゅーぎゅーに詰まっているわけですから、腕利きの販売員さんにしてみれば「腕時計を売る」ためのヒントを得る絶好のチャンスとして「お客さんの腕時計自慢」を聞き逃すはずはありません (*´∀`*)
虚心になって聴く「自慢話」には、多くのヒントが隠されている
「私たちよりずっとお詳しいお客さまも多いですから、勉強させてもらうつもりでお話伺ってます」
これは私が「高島屋ウォッチメゾン」のスタッフの方から直接聴いた言葉です。配属されたばかりの新入社員ならいざしらず、それなりのキャリアの販売員さんからこのような謙虚なセリフを聴くことは稀です。
長年働けば自然と自分の仕事に対する責任感と誇りは増大します。しかし、そこで「プロ意識」をはき違えると、お客さんに対して「私の方がプロだ!!」という態度が現れる場合もあります。この手の販売員さんには何人も出くわしましたが、まずお客さんの希望を聴きません。希望を聴いてもらえず、新製品を矢継ぎ早に薦められて「この人から買いたい」と思うお客さんはいないでしょう。残念なことに「マウントをとることがプロだ」と勘違いしている販売員は少なくありません。
他人の話を聴くときに「自分のほうが偉い」とか「自分の方が賢い」とか思っていると、どうしたって相手の話に自分の体験や考えを過剰に被せていく会話になってしまいます。それが「自慢話」だったらどうでしょう?? 自慢に自慢をマウントする展開になって、それを楽しいと感じられる人は多くないでしょう。特に「ビジネス」が絡んだ場所での会話は、その成否が「成果」に繋がるのですから、それこそ「細心の注意」で耳を傾けるべきです。
人の話は「虚心」に聴きましょう。例えそれが「共感できない自慢話」であっても、そこには人間関係を濃密なものに変える「貴重なヒント」が隠されているからです (*´∀`*)








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