…「年末ジャンボ宝くじ」の当選発表当日までの私は、強く強く!そう念じていました。目の前のガラスコップくらいなら気合で「パリーン!」と軽く割れるくらいのサイコパワーを溜めて、ひたすら強く思っていたのです。
しかし…今年も見事な惨敗でした。
まだまだ必死で働けよ、コンチクショー!って話かな(´;ω;`)
大金が手に入ったら「どんなに凄い腕時計を買おうか」という妄想をお持ちの方は少なくないと思います。虚しいと解っていても、妄想だけなら1円も使わないで済みますしね。
しかし現実は、冷めたカルメ焼きのように薄い財布のオーナーである私。少ない原資で、いかに腕時計趣味を継続させるか…という難しい命題からは逃れられません。
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似たような腕時計の乱立
2021年も財布の厚みは変わりそうにない私ですが、今年も恐らく中古市場を彷徨って、状態のいい腕時計をできるだけ「お得に」手に入れることに腐心することになると思います。 アチコチの腕時計専門店、質屋さんのショップサイトで見つけて「お気に入り」に登録した腕時計は、全部数えると恐らく100本を超えると思います。そのほとんどは私が大好きだった「1990~2000年代初頭」の腕時計です。 現在の腕時計に興味を持てない…というわけでは、もちろんありません。欲しい、買えるものなら買いたい。 しかし、現在の腕時計は高価…高すぎるのです。それでいて、どのブランドも何やら画一的な方向に進んでいる気がして、ど~も…唆られないのです。 新型コロナの影響がどの程度かは解りません。しかし、現在の腕時計デザイン、或いはコンセプトの有り様を見ていると、ブランド側が「買わせたい!」と思っても、買い手側の「本当に欲しい物しか要らない(買えない)」という事情のほうが遥かに勝っているように思えるのです。 例えば昨今の「フラッグシップのラグスポ一辺倒」的な潮流は、ブランドが買い手に対して大幅に譲歩したようにも感じられます。 商売としてはそれでいいと思います。売れないものを作っても成り立ちませんし、こういう時代ですからシビアな戦略は必要です。つまり「必ず売れるものを売る」ということです。 しかし、文化として考えた場合は何ともツラい。 特に1990年代辺りにリリースされた腕時計の多彩さに比べると、本当に現在の腕時計は全部が全部、何となく似ているのです。特に売れ筋モデルで強く感じます。 物の多彩さというのは一種の「パズル」のようなものです。様々な方向性の価値観から「まさにコレ!」という一本に至るには、自分自身の中に確固たるモノサシがなければなりません。 そのモノサシで数ある腕時計を自分なりの基準で「秤にかける」ワケですが、これはそれなりに頭を使いますし、何より疲れます。特に自分なりの「正解」が見つけられなかったときなどは本当にグッタリしてしまいます。 だけど、その「疲労困憊」な時間が楽しいのです。もしかしたら購入して使うこと自体よりも、甘美な時間かもしれない。 ただ、その「甘美な時間」を甘美に味わうためには「心の余裕」が必要。乱暴に言い切ってしまうと、それは「失敗しても本望!」みたいな覚悟と気構え…と言えるかもしれません。 「絶対に失敗したくない」などと思ってしまっては、本来楽しみであるはずの「選択」すら苦痛になりかねないのです。疲労の先で「まぁ売れ筋だしこれでいいか…」なんて感じに腕時計を買ってしまうことは、例え他人事であっても悲しいことです。色とりどりだった1990年代
「趣向の多様性」という点では1990年代の腕時計たちは格別でした。まず、それぞれのブランドの個性が際立っていました。ブランドロゴを消したとしても絶対に間違えないくらいの個性が、それぞれのブランドに宿っていたのです。 そして各々のブランドの中にも個性豊かなラインアップが揃っていました。ちょっと下品なくらいにバラエティー豊かな光景が広がっていたのです。 私が腕時計に興味を持ち始めた最初の年代でもある「1990年代」は、浅見な腕時計好きを「深い悩みの森」に誘う迷宮だったような気がします。 例えばそれは、昔々のプロ野球球団のようなものかもしれません。個性豊かな選手がそれぞれチームの顔となって、球団のイメージを決めていた時代。今でもリーグの違いなどで多少は感じる部分ですが、昔は12球団それぞれに「二つ名」とも言えるキャッチフレーズがありました。ファンの少年たちにとってそれは、プレーや勝敗以上に心に突き刺さるものだったのです。 誰にでも判別…或いは区別できるほどハッキリとした輪郭、腕時計が競合するライバルから抜きん出るために必要なことは「視覚的に明確な差別化」であり、それが「最初の一歩」であることは間違いないでしょう。 人間の集団でも同じです。特徴の薄いイケメンが勢揃いした中から「一番のイケメン」を選ぶことは難しいですが、薄い顔のイケメンの中から「濃い顔のイケメン」を見つけだすことは容易です。方向性の違う「イケメン作り」という試行錯誤…1990年代に登場した腕時計たちからは、そんな感じの「センスのせめぎ合い」を感じるのです。探したい1990年代の腕時計
1990年代の腕時計を探せる場所…それは中古市場しかありません。ところが本気を出して探し始めてみると、この年代、あまり上がってきてないんですよね。玉も少なめですし、状態の良いものも少ない。むしろもう少し古い「1970年代、80年代」の方が玉の余裕を感じるのです。 これはどういう意味だろう…と自分なりに原因を考えてみました。 まずは第一の原因 「未だ一線級の現役として愛用している人が多い」 これがほとんどかなぁ~と思います。確かに古いけど普通に使えているので買い換える理由がない。故に中古で売って新しいのを買おう、というムーブに繋がらない。 第二の原因 「現在の腕時計が趣味な合わない」 これは何となく私にも理解できます。個性派揃いの1990年代に時計にハマった人なら、現在の腕時計はシンプル過ぎて出来もよすぎて、何か肌が合わないように感じるのではないでしょうか?それ故、古い愛機を大事に使っている…と。 第三の原因 「気付かぬうちに1990年代のリバイバルが起きている」 まさか…とは思いますが、実は中古市場で人気品薄が起きている可能性なんてないでしょうか?ないかな?(;´∀`) 第四の原因 「そもそも1990年代に価値がない」 身も蓋もありませんが、売りに行っても買い叩かれるのが関の山なら、市場に玉が揃うわけないですよね。あ~あり得る。凄くあり得る。今こそ使いたい1990年代の時計
「1990年代の時計の何がそんなに?」と訝る方のために、私が今こそ欲しいと思っている時計を晒していきたいと思います。これがまぁ…変態的なワケで(;´Д`)AUGUSTE REYMOND(オーガスト・レイモンド)
コットンクラブ・アラーム(Ref.611050)
雑誌を接写してるだけなので、画像はホントにすみません。
さて「ユニタス」の開発などで知られる「オーガスト・レイモンド」から「コットンクラブ」です。JAZZシリーズの代表作の一つ。1997年当時の定価は29万円でした。
chrono24さんで検索をかけてみましたが、残念ながらやはり不在。小ぶりなローマンインデックスが上品な雰囲気を醸し出して格調があります。いろんな技術のパテントを持っているブランドで、特にこの時代は勢いがあったように思います。
ZENITH(ゼニス)
プライム(Ref.01.0016.420)
自動巻き「エル・プリメロ」の機能をそのままに手巻き化したムーブメントを搭載。もちろんお得意の「1/10秒計測」も可能。
この頃のゼニスは「手の届く高級腕時計」としてのポジションがハッキリとしていて、次はコレが欲しい!と目標にしやすい魅力の詰まった時計が多くありました。クラシカルな面持ちの中に先進性も感じられて、それは2021年の現在であっても十分魅力的に写ります。いやむしろ、今のゼニスしか知らない人が見たら「昔はこんなに色気のある時計も作ってたのか!」と思うことでしょう。当時は21万円で買えました。中古市場では現在、30万円あたりで取引されています。
ULYSSE NARDIN(ユリス・ナルダン)
サンマルコGMT
聞くとカレーの匂いが漂ってきそうな「サンマルコ」これはスポーティーなケースを纏った、ナルダン的には珍しい一本です。
どことなくセイコーのアルピにも似ていますが、ダイアル装飾の「これでもか!」って感じは流石にトップブランド。今ならこれもラグジュアリースポーツなんて呼ばれるでしょうか?
11時位置の窓が2つめの現在時を現し、小洒落たGMTとして機能するようになっています。今の時代にこれを使ってたら、かなりニクイですね。当時は29万5000円でした。
TAG HEUER(タグ・ホイヤー)
6000ゴールド
外装に18金を使った「6000」。この頃の最高傑作です。個人的にはタグ・ホイヤーが最も輝いていた時代だと思います。この6000シリーズはバリエーションが豊富で、若いサラリーマンがこぞって手にした割には被らないという側面もありました。
今だって、誰が街で見かけても間違いなく判別できる「絶対的な個性」が、この時代のタグ・ホイヤーにはありますね。スポーティーでありながら、宝飾時計並みのキラキラを同居させ得たデザインは、2021年の現在でも特別な感慨とともに魅力的に写ります。
当時の価格は124万円です。chrono24さんで検索したら95万円ですでに「予約済み」になっていました。誰だ!何やら同じセンスを感じる(笑)



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