腕時計趣味の界隈には
「上がりの時計」「締めの時計」或いは
「終の時計」と呼ばれるものがあります。私自身は未だ出会えていませんが、腕時計人生の最後に手に入れるべき一本のことを想像すると、何やら胸がザワザワして落ち着きません。
何をもってして
「上がり」とするかも悩みどころです。一応最後の最後辺りで
「一丁飛び切りのドレスウォッチが欲しい!」という野望だけはあるのですが、それがいわゆる
「上がりの時計」となり得るかは神のみぞ知る。まずは手に入れてみないと…
そもそも私は懐疑的なのです。
「上がりの時計できっちり上がる」なんて、そんなサムライみたいな潔さを持ち合わせた人間性ならば、私みたいにダラダラと腕時計沼なんてものには、絶対にハマっていないと思うからです。
「上がり」が見える人ならば、最初の取っ掛かりである
「始まり」も意識できているはずです。
「次に来るのはコレ!」と解っているからこそ、物欲に翻弄されず計算された買い方が可能になり、完成された
「コース料理」のようにバランスのとれたコレクションが出来上がるのではないか…ってなワケで、私の性格では
「上がりの時計」とやらに出会うことは難しいでしょう。私が味わいたいのは、終始一貫
「アラカルト料理」だったりするので(;´∀`)
それでも可能性があるとすれば
「これ以上は無理!」なくらいに高価な一本…ってことになるでしょうか。あくまで市場価値としてではありますが、最高到達点をもってして腕時計好きの矜持を満足させると考えれば…確かに現実的な落とし所ではあります。
なんて考える私の頭にボンヤリと浮かんできたのは、ヴァシュロンの
「PATRIMONY(パトリモニー)」。使い所の幅が広そうなデイト付きオートマティックなら、例えば…そんなにうるさくない式典くらいはこなしそうですし、ジーンズにシャツ一枚みたいな風体にも似合ってくれそうです。普遍的でシンプルなデザインに透けて見える重厚な
「歴史」。自分という一介の腕時計好きのフィナーレをパトリモニーのような時計で飾れたら…それこそ冥利に尽きるってものでしょう。
PATRIMONY(85180/000G)
出典:https://www.vacheron-constantin.com/
この3針デイトのパトリモニーはケース幅40ミリとビジネス・ドレス系としてはかなり大ぶり(ケース厚は最大8.55ミリ)それでも手首に無理なく沿うように計算され、美しいカーブで構成されたケースデザインはまさに
「極致」です。一切、非の打ち所がありません。
特にダイアル周り!このインデックスなんて一日中見続けたって、絶対に飽きないでしょうねぇ(肴にすれば旨い酒だって呑めるはず!)
確かにこういう時計こそ
「上がり」を任せるに相応しく、誰の腕時計人生をも華々しく終局させることでしょう。まぁ
「343万円」ですから、フツーの会社員の私には絶対に買えないのですが。
で、こうやって具体的な
「上がり」を意識してみても、やっぱり私には腑に落ちないのです。例えばどうにかして
「パトリモニー」を手に入れたとします。当然、私のような人間にはトンデモない散財ですから、腕時計人生も
「コレにて一件落着!」と、一時はしおらしく考えるでしょう。
しかし…例えば1年後はどうでしょうか?恐らくまた
「気になる腕時計」が忽然と現れて、
「上がり」のはずのパトリモニーですらも、ただの通過点扱いになってしまう気がするのです。もちろん、人生で一番高価な腕時計の座は揺るがないと思いますけど(;´∀`)
腕時計趣味の深淵は俗に
「底なし沼」に例えられますが、全くその通りで
「ココらが底かな?」と思ったところからさらに深い底が現れるという繰り返しです。特に私のように
「市場価値に縛られないモノサシを探してきた」タイプの腕時計馬鹿にとっての沼は横軸にも広がっているため、一向に終点が見えないのです。沼の真ん中で無様に足を取られて、どの方向の岸にも上がれない状態なのかもしれません(;´Д`)
思慮深い人ならば、ここからどんどん歳をとってお爺ちゃんになれば、さすがにダイバーズは使わなくなるかしらん?などと想像して
「自重」できると思います。他の様々なカテゴリーの時計に関しても同様でしょう。そうやって
「欲の断捨離」を進めていくのが自然なのです。けれど、当たり前ですが私の性格を一番理解している人間は私自身。何となくですが、枯れ木のような爺になっても
「爺とダイバーズの組み合わせも悪くないんちゃうか?」なんて、呑気に考えてそうな気がするのです。間違いなくそうなりそうな予感…(;´∀`)
そんな感じですから、きっとその時々で自分に合った腕時計を探し続けてしまうでしょう。経済的な事情に縛られつつも可能な範囲で…そういう立ち回り自体も楽しかったりするのが、私の腕時計趣味なのです。
往生際の悪さゆえ
「上がった!」と思っても
「まだまだ!」と思い返しては、ダラダラと繰り返しそうな私。こんな野郎は
「上がりの時計」なんて探すだけ無駄なのかもしれません。
とはいえ、それは自分の腕時計遍歴における、最後の
「答え合わせ」のようなもの。納得できるランディングに向けて色々考えを巡らせること自体は、案外悪くないかもしれませんね。
皆さんにとっての
「上がりの時計」を教えていただけたら、また異なる考え方が出てくるかもしれません
「こんな時計で上がりを考えているぜ!」みたいな計画がありましたら、是非是非、私にもお教え下さい(*´∀`*)
ご意見・ご感想
コメント一覧 (2件)
齢70にしていまだに彷徨っています。
半世紀以上前の教科書に載った、以下の詩の一節が最近頭に浮かびます。
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
『道程』より引用
時々に上がりを思い続ける事が楽しいのではないでしょうか。